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吉尾正人のブログ

新たなことをコツコツと始めていきます…

2018年12月13日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾です。

このブログも久しぶりも更新になってしまいました。

このブログは今のところゆる〜く、自分のプロフィール的
なことや、自分の現在の仕事である整骨院の開業について
など書いています。

このブログを読んでいただいた方は、私が何をやっているか
すでにおわかりかもしれませんが、現在は、整骨院の開業を
して、一人整骨院の院長として現在奮闘中です。

そんな経験から色々学んだり、現在進行形で学んでることで
ちょっとでもこのブログを読んだ方にも参考になるようなこと
をシェアできればと思っています。

開業して学んだこと…

開業して、今まで考えていなかったことが多くありました。

それは人を集めるという力です。
整骨院で言えば、一人でも多くの患者さんに来てもらうことです。

やはり、開業したらスタッフを雇い、給料を払わなくてはいけ
ないですよね。また、店舗の家賃などの固定費はかかって
きます。

ということは、開業が目標でしたが、「はい」それで終わりでは
ないんですよね。開業してからが実は大変なことなんです。

人を集めることが出来なければ、即倒産になります。

一生懸命貯めて築いたお店も、水の泡と消えてしまいます。
お金を借りて始めていたら、全てを失い、借金だけが残る
だけです。

整骨院は、いい施術をすれば患者さんは沢山集まると思って
いる方は多いともいます。

腕が良いにはこしたことはありませんが、いくら腕が良くても、
まずあなたの施術を受けてくれる人を呼び込まないと意味が
ありません。

整骨院を軌道に乗せるには、集客する必要があるということ
に他ありません。

最初は、自分にはそんな知識も全くなかったので、開業時から
お世話になっているコンサルティングのS氏にたより、チラシ
からホームページ、経営のノウハウを色々と叩き込まれました。

そして、コピーライターという職業を知り、そのコピーライター
になりたくなりました。

コピーライターとはどんな人?

コピーというと、「複写」みたいな意味かなと思いますが、
ここで言うコピーとは、「広告文」という意味です。
その「広告文を書く」ことをコピーライティングといって、
「コピーを書く人」のことをコピーライターといいます。

僕が最初にコピーライターと聞いて頭に思い浮かんだのは
「糸井重里さん」でした。

糸井さん自体は昔テレビに良くでていて、単なるタレントの
ような人としか思っていなかったので、コピーライターに
ついては、開業するまでは全く知りませんでした。

コピーライティングの歴史と決意!?

コピーライティングの歴史とは、1904年にアメリカである
3人が始めたのが現在の最初のコピーライティングの定義である
といわれています。

約100年ぐらいの歴史ですが、そのうちの1人にジョン・E・
ケネディは広告とは?という質問に「広告は印刷されたセールスマンだ!」
といったそうです。

コピーライターって何か資格があるわけではないので、何で評価するかは、
やっぱり良い広告を書けるコピーライターが良いコピーライターという
ことになるんだと思います。

自分は今まで、セールスマン時代も含めると対面での営業、セールス
をやっていた経験はありますが、文章でセールスすることなんて考えて
もみなかったです。

今まで文章を書くことは得意ではなかったですし、そのようなことを
生業に出来るのだろうかと考えました。

考えてみたら、このケネディさんの言葉を読んだ時に、セールスの
経験は自分にはある。それを紙上に表現すればいいんだと決意し
ました。

「コピーライターになろう!」商売に困ってる人の手助けが出来る
「セールスコピーライターになろう!」と決意しました。

発展途上ではありますが、自分の仕事のチラシやホームページの
コピーを書きながら、経験をつんでいます。

 

そのようなことで、またコピーについてのブログを書いていこうと
思います。

今日もブログをお読みいただきありがとうございます。

それではまた…

Filed Under: 私について Tagged With: コピーライティング

デスクワークでの座り姿勢は命を縮める!

2018年6月19日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。
今日は、座り姿勢が良くない事について話していきたいと
思います。

サラリーマンやOLの方など、日々デスクワークなど座って
仕事をしてる方多いのではないでしょうか?

実は、この座り姿勢を長く続けていると体にとって、とても
悪い影響があると言われています。

仕事柄、自分の整骨院の患者さんをみていて、とても姿勢が
悪い方が多く来院されます。

多くの方は、デスクワークなどの座り姿勢が非常にながい
ことで、また、運動不足も重なり、筋力低下がみられ、
猫背姿勢の方が非常に多いと思います。

自分の専門的なことでは、首や腰への負担による疾患で、
軽ければ、肩こりや腰痛程度で済んでる方もいらっしゃいますが、
ひどくなると、首であれば首が回らない、指まで痺れがあるなど、
腰であれば、ぎっくり腰になって来られる方もいますし、
やはり、足への痺れを伴ったり、眠るのもつらいという方も
多くいらっしゃいますね。

 

最近のメディアでは、この座り姿勢がそのような整形外科的な
疾患だけではなく、他の内臓器官にも悪影響を及ぼす事が言われ
ています。

例えば、座り姿勢が長い事で、過剰にインスリンががん細胞の
働きを活発にして、がんの発症リスクが高まるそうです。

先程もいいましたが、毎日動くこと無く座っているため、
運動不足になり、心臓疾患へのリスクも高まると言われています。

当然、体を動かさない事で、筋肉を使わないので、血液循環は
相当悪くなると思います。

血流が悪くなるという事は、年齢によっては血栓となるものが、
出来てしまう事もあり得ます。

当然、脳血管への影響やお尻の疾患(痔など)なども引き起こす可能性も
指摘されています。

自分も日頃は、立ってる仕事ですが、このようにブログや
デスクワーク作業も増えて来ているので、意識して注意する
ようにしています。

患者さんには、特に座り姿勢が主な仕事の方には、30分おき
には立って歩いたり、出来ない方はその場で、体を少しでも
動かして座り直して下さいと言っています。

理想は30〜1時間までが続けて座っていい時間です。

それ以上は、ダメですよと言っています。

なかなか難しいことですが、これは習慣ですから、
タイマーなどを利用して、癖を付けることが大事です。

これも最近見たネットの記事ですが、あの有名なApple社
のティム・クック社長は、社員全員にスタンディングデスクが
導入されたそうです。

クック社長は、2015年に「座り姿勢は一種のガンだ」と
言ったそうです。

彼自身は、かなり健康主義で出社前にジムに行って運動を
してから来るそうです。

世界の最先端の会社はすでに、座り姿勢が健康を害する要因
とうことで、会社の机まで変えていってるのです。

僕もこれは、以前からそうなればいいなと思っていましたが、
こういう世界の大手企業が始めてくれると、日本の会社でも
いずれ導入されてくることを期待できると思っています。

運動不足のあなたにとっては、「そんな立って仕事なんて
できるか💢」と思いますが、今のうちから、運動習慣を
身につける事も大事だと思います。

基本的に、姿勢が悪い、座ってる方がいい、足組んだり
してしまうなどは、特に下半身の筋肉がかなり弱っています。

できれば、1日20分の運動習慣を行なう事から始めて
みましょう。

お風呂上がりで結構です。20分できなければ、10分でも
最初はいいと思います。

成人病、予備軍の方は、激しい運動ではなく、軽いストレッチ、
筋トレをおすすめします。ウォーキングもいいでしょうね。

これからの人生健康に、元気に過ごせるようにしていきま
しょう。

Filed Under: 健康について Tagged With: 病気 運動

人生にとって大事な体験の一つが「旅」アジア編

2018年5月19日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

今回は、前回からの続きですが、ヨーロッパはパリを跡に
して、東南アジアへの旅が始まります。

今までとは180°違う世界の地を訪れて…

行きと同じようにドバイ経由で日本に向かうのですが、行きは
トランジットだけであった、クアラルンプールに降り立ち、
ここからはアジア旅になるわけです。

クアラルンプールは、中国人とマレー系の人種が混在する国で、
今では日本人の移住人気ナンバー1みたいですが、東南アジア
のいいのは、常夏なところと雰囲気ですね。

クアラルンプール旧市街

前日までいたヨーロッパとは、全く違う世界で、この
変化が楽しかったですし、印象深い思い出となってます。

クアラルンプールのホテルは、確か一人1000円ぐらいの
宿だったと思います。

かなりの古さを感じる宿で、1階に中華レストランのある、
マレーシア華僑の経営と思われる安宿でした。

夜寝ていると、通路で何人も従業員が簡易ベッドで寝ている
ようなところで、いびきはすごいし、ヨーロッパの安宿とは
比べものにならない環境でした。

街は、華僑とマレー系が混在する国なので、イスラム教の
モスクなどアラブ風建築も見ることが出来ます。

華僑の勢いも凄くて、市場の通りはかなり賑わっています。

東南アジアに来て最初に凄いと思った体験は、なんといっても
スコールです。

道が渓流のような流れで、膝ぐらいまではあっという間に
水没してしまうぐらい降ります。

クアラルンプールからは、隣の国タイのバンコクに行くこと
が目的でした。

バンコクまでは、マレー半島を縦断する約1500キロの
行程です。

行きは、長距離バスを使って行く予定にしていたので、
バスターミナルに向かいました。
マレーシア国内のみならず、陸続きのため隣国タイやシン
ガポールなどの国にも路線があります。

アジアのバスターミナルは、多くの人がゴチャゴチャと
色んな都市に向かって行く人が集まってきます。

クアラルンプールからはまず、タイのバンコクに向かいます

この時の、マレーシアのバスが最悪で、自分のバスの座席の
上にクーラーの通風口があったんですが、そこからクーラーの
水がポタポタと落ちてきて、頭に垂れてきます。

全く眠れたもんじゃありません。他の席もいっぱいで変われる席
もありません。

苦痛を我慢しながら、さらにガンガン冷房も効きすぎるバスに
揺られて、国境を越えタイに向かいました。

マレーシアとタイとは時差が1時間あります。

日本からはマレーシアは−1時間、タイは−2時間です。
普通にバスに乗って国境を越えると、時差があるのを
忘れてしまうこともあります。

ここで一夜が明けて、バスを降りろと言われ、バンコクに
着いたのかと思いきや、町並みが違うぞという感じで、
確認してみると、南部のハジャイという街でした。

ここを経由するのはわかっていたのですが、ここでバスを
乗り換えることは知らされておらず、取り敢えず、バンコク
行きのバスが発車する時間まで待たされることなりました。

旅には、こういうことは時々起こります。

こちらのコミュニケーション能力の問題とこういう国の
インフォメーション不足と噛み合ないことは多いです。

タイの南部は、宗教問題で、治安が悪いところもあるという
ことを聞いていたので、ちょっと気をつけながら行動をして
いました。

ほとんど休むことなく、これからさらに10時間以上かけて
バンコクに向かうことになります。
ただ、今度のバスは今まで乗ってきたバスに比べて、キレイで
比較的快適でした。アテンドの女性もいて、途中のドライブイン
で食事も提供されました。

これならいいなと思いながら、さらに一晩かけてバンコクに
向けてのロングドライブです。

バックパッカーの集まる聖地バンコク

やっと着いた、という感じで、ここからはいつもの通り、
宿探しになります。

バンコクのバスターミナルから、当時バックパッカーが
良く泊まる安宿探しです。

バックパーカーの聖地カオサンストリート

当時は、あんまりインフォメーションもなく、地球の歩き方
だよりで、長旅の疲れを癒すことなく歩き続けなかればなり
ません。

やっとのおもいで、宿にたどり着き、荷物をおきます。

安宿のため、冷房ではなく、天井に扇風機が回るファン
のみの部屋でした。

すぐさま、部屋をでて、街に繰り出しました。

今考えると、元気だったなと思います。こんだけの、
行程でもさらに、宿を探して、さらに休まず街へ繰り出せる
元気がありました。

バンコクは車も人も多くて、渋滞がひどいです。
かなりの大都市です。

渋滞と言えばバンコク

しかし、今現在のバンコクは、当時のバンコク以上の発展を
遂げ、高層ビルが建ち並んで、今の日本より景気がいいんだな
と感じます。

物価も当時ほど安さを感じません。

色んな意味で、発展を遂げるのは住んでる人にはいいこと
なんでしょうが、旅行者に取っては少し残念なところもあり
ますね。

バンコクの有名な寺院や中心地のサイアムスクエアや日本人
が多いスクンビット地区やシーロム地区などをバンコク名物
の三輪タクシーのトゥクトゥク乗りながら、バンコクを巡り
ました。

チャオプラヤ川沿いにそびえる暁の寺

アジアなどの地域を旅をして面白いのが、金額の交渉という点
ですね。このトゥクトゥクも交渉次第で金額を決めるので、
人によって値段が変わります。

この点は、タクシーのようにメーターがついていないので、
しかたないですが、メーターのついてるタクシーでも法外
な金額で交渉しないと乗れない悪徳タクシーも多くあるのが
現状です。

最近のバンコクは、トゥクトゥクの台数が減ってきていて、
ちゃんとしたメータータクシーに乗れば、交渉する手間もなく
正規の金額で乗れるので、お得です。冷房も効いているので
快適です。

また、もう一つこの頃の時と今のバンコクが違うのは、市内
をBTS(スカイトレイン)と地下鉄が運行するようになったこと
です。

今では、この市内を走る電車網のおかげで、渋滞のひどい
バンコクの街をタクシーなどを使わなくても、路線があれば
時間も正確に移動出来ることができるようになりました。

これは僕が初めてバンコクにいったころにはなかったことですが、
バンコクが急速に発展をしていることを感じさせる事情の一つ
ですね。

この旅行のなかでも、バンコクは物価も安く、雰囲気も楽しく、
以後何度も訪れることになりました。

このとき以外のタイ旅行については、いずれまた、違う時にでも
お話ししようと思います。

さて、バンコクの滞在も終わり、再度飛行機はクアラルンプール
からの出発になるので、マレーシアに戻らないとなりません。

クアラルンプールへは、マレー鉄道で帰ることにしていたので、
荷物をまとめて、バンコク中央駅であるホアランポーン駅に
向かいます。

アジアの列車旅は最高!

駅は大変特徴的な趣のある外観です。本来なら寝台を選ぶところ、
空いてなかったため、2等の普通席を選ぶことになりました。

およそ24時間ほどの列車の旅になります。

行きのバス同様2等席ということもあり、また過酷になるかな
と想像しました。

列車はゆっくりホアランポーンを出発し、日本の特急列車よりも
穏やかなスピードでタイ〜マレーシアを走り抜けて行きます。

バスのように、途中で乗り換えはなかったのですが、マレーシア
に入ってすぐの国境近くのバターワースという街(ペナン島に
行く人はここからフェリーで行く)で、時間調整となりました。

数時間停車して、再度出発するのですが、最初の方で話した通り、
タイとマレーシアには1時間の時差があります。

到着時点でマレーシアなので、1時間時計を進めないとなりません。

そうしないとここでの出発時刻はマレーシア時間になるからです。

ということで、その時に同じ列車に乗っていた日本人の新婚さんが
時間があるので、ペナン島まで行って来るということだったんです
が、出発時間になっても帰ってきません。

ペナンで泊まるのかなと思いながら、列車は走り出しました。

マレーシアに入ると、熱帯雨林を思わせるジャングルのなかを列車
は走って行きます。

昼過ぎに出発し、翌日の同じような時間にやっとクアラルンプール
に到着しました。

移動をしたらいつも通りやることは、宿探しです。

今回は、行きに泊まったより500円ほど高いところに泊まった
ので、結構快適でした。

そこになんと先程バターワースでペナンに行ったカップルに遭遇
しました。

あれからどうしたのか聞くと、やっぱり時間を変えずに駅に戻ったら、
列車は出発してしまっていたということで、ペナンに戻り、飛行機で
クアラルンプールに来たそうです。

時差というのは、こう言う時に問題が起きるのでたまたまですが
隣の国で時差がある時は気をつけなければなりませんね。

そして、今度はケアラルンプールを出発し、次の目的地香港に
向かいます。

ブルースリーの誕生の地

香港と言えば、僕の憧れたブルースリーがいた国です。3日間で
したが、それだけでテンションは上がりました。

昔はなかったブルーリー像

この時の香港はまだ、イギリス植民地時代で中国返還前です。

空港も町中にあり、飛行機は高層ビルの建ち並ぶ景色の中を
滑走路に降り立つという珍しい空港でした。

映画で見た世界でしたが、今はもう経験出来ない光景です。

街は、ブルースリーやジャッキーチェンの映画に出て来る世界で、
高層ビルがニョキニョキと立ち並び、中国語の看板が通りを埋め尽くし、
二階建ての公共バスが走るのをみて、この時は香港映画も流行っていた
時代で、バンコクよりも進んだ国と思いました。

映画にも出て来る九龍という場所にある九龍城は、得体のしれない
ビル群で、ここに入ったら生きて出て来れない怖い場所だと信じ込ま
されていたので、ビビって当時入るのを躊躇しましたが、それは伝説
でした。

香港での宿は、チョンキンマンションという九龍にある安宿の
集まるビルで、ここは深夜特急でも主人公が泊まった宿が入ってる
バックパッカーには良く知られているところです。

ここで、値段と空きを確認し、宿泊したホテルは、本当にベッド上
でしか動けないスペースの狭い部屋でした。

ただ、2泊しかしないし、ほとんど街に繰り出して、寝るだけ充分
でしたので、問題無しです。

香港は、九龍と香港島を結ぶフェリーに乗り、小さいエリアでしたが
色々と歩き回りました。

100万ドルの夜景で知られるビクトリアピークに行ったのですが、
ここでもびっくりする経験をしたのが、今回のヨーロッパでスペイン
の宿に泊まった時に出会った方と、再会したことでした。

彼女は、ヨーロッパから一旦日本に帰国して、再度違う友人と
香港旅行に訪れていて、ちょうどビクトリアピークに来ているところ
で出くわしました。

ビクトリアピークからの100万ドルの夜景

当時、友人と「世界は狭いな」などと偉そうに話した記憶を思いだし
ます。

そんな香港はあっという間に過ぎて、最後の訪問地台湾に向かいます。

友人たちと過ごした一生忘れられない思い出の国

台湾の首都台北には、当時高校時代の友人と大学時代にバイトをして
いた時の先輩が住んでいました。


この高校時代の同級生が、僕以上のブルースリーファンで、そのこと
もきっかけで台湾に住むぐらいの彼でした。

彼とは高校時代は、ブルースリーが好きで意気投合して、四六時中
一緒に遊んでいた友人でした。

台北の見所や彼の遊び場のスポットなど隈無く案内してもらって、
非常に楽しい思い出でした。

台北は夜市が有名で、色んところに夜になると屋台がでます。

僕が好きだったチョウユンファ主演の「男達の挽歌」では、
当時の台北が出てきますが、台北も2年前にも行ったんですが、
昔とはかなり変わっていました。

今思い返すと、この時に戻ることが出来たら戻ってみたいなと
思える時でした。

こんな旅は二度と出来ないなと思います。

ということもありますが、この旅をきっかけに大学時代は、翌年南米、
卒業旅行でタイに行くなど、海外にハマってしまった自分がいました。

人それぞれ、旅の体験は違うと思いますが、是非、このブログを読んで
くれた特に若者達には、海外に行くことをお勧めしたいと思います。

別に、海外でなければならないわけでもないし、国内旅行でも問題
ないのですが、言葉と人種の違う人達しかいないところに、また
日本では見れない景色や体験が自分を成長させてくれたのだと思います。

ここで、旅ということにしたのは、大人になってお金が稼げるように
なれば、海外旅行なんていくらでも行けると思います。

今はLCCで東南アジアなんて片道1万代でいけるんですから。

僕が言いたいのは、旅と言う経験をしてみることで、自分でプラン
を考え、行き先に迷った時や、言葉の通じないところで、ガイド
もいない場所でどう対処していくか。また、ドミトリーでは、
世界各国から訪れるバックパッカーたちと交流できたり、自分も
英語は全くに近いぐらい話せませんでしたが、なんとか言いたい
ことを伝えようということをすることで、意気投合して仲良くなって
しまうような体験もできたり、違う国で再会する偶然や、今まで
想像したことのない数々の経験が出来たと思います。

なんか偉そうなこと言ってますが、ある趣味の一つです。また、
特に今はそんなに海外に出ることは難しくないでしょう。

僕もまだまだ行きたいところが沢山あります。

その時その時で、経済の発展に伴って、国の状況も変わりますし、
町並みも大きく変わっていきます。

行く年代でも、行った時の受ける印象や感情はちがうと思います。

それは貴重な経験になると思います。

もし、現在なにも趣味もやりたいことがないあなたには、機会が
あったら「深夜特急」でも読んで、旅のイメージに想像を膨らませて、
海外に旅に出て行ってみたはいかでしょうか。

ということで、今日は長くなりましたが、この辺にしておきます。

ではでは…

Filed Under: 旅について Tagged With: 旅 体験, 海外

人生にとって大事な体験の一つが「旅」欧州編

2018年5月14日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

今日は、前回の続きです。

何も知らない2人の若者の旅立ちの時がきた…

大学2年の夏休みにその計画は実行させれました。

今から30年ぐらい前になるでしょうか。

上野から京成スカイライナーで、成田に向かいました。

初めての成田空港に到着し、初めて乗るマレーシア航空
の機材が僕らを待ち受けていました。

当時はまだ、出発便の表示板は、電光掲示板ではなく、
ペラペラめくれるタイプのもので、カタカタと音を
たてながら表示が変わっていき、そこに自分の便名が
出るのを確認しました。

ここから体験することは、ほとんどが初体験ばかりの
ことでした。

チェックインをし、パスポートコントロールで、
パスポートに出国スタンプを押してもらうと、
その先は、日本でありながら日本ではないエリア
になります。

煌びやかな免税店が立ち並び、当時の自分はこの時点で
舞い上がっていたと思います。

初めての日本脱出が始まりました。

今回の空路の行程は、まず乗り継ぎのマレーシアの
首都クアラルンプールまで約8時間のフライトです。

飛行機が滑走路にゆっくりと動きだし、加速しながらの
離陸の時のドキドキ度は何とも言えない気持ちでした。

初めて飛行機に乗ったので、機内でのドリンクサービス
や機内食のサービスはとてもいい気分でした。

日本を出て人生初の国に着いた感動…

全く眠れず、クアラルンプールの空港に到着しました。

海外に行くといつも思うんですが、それぞれの国によって、
空気感(気温や湿度など)や匂いというものが違います。

このクアラルンプールも独特の匂いがありました。

初めての海外の地に降り立って、乗り継ぎのため空港から
は外に出れなかったのですが、二十歳そこそこの若造の
心はワクワクでした。

現在のクアラルンプールの空港は、非常に大きくいろんな
免税店が立ち並んでいるんですが、当時の旧国際空港は、
ほとんど店もなく、8時間ぐらいトランジットで只只、
次のフライトの時間まで待つのみでした。

ここから、今度はUAE(アラブ首長国連邦)のドバイを
経由してロンドンのフライトになります。

ドバイまで約7時間、ドバイで2、3時間空港待機に
なり、そこから約8時間ほどのフライトになります。

トランジットを入れると、24時間以上の過酷な移動
時間でした。

現在では、なかなかエコノミークラスでは、耐えがたい
移動時間だと思います。

ヨーロッパ最初の地、旅の始まりはロンドンから

やっとの思いで、ヨーロッパ初の最初の国であるロンドン
に到着し、入国審査、そして現地の通貨ポンドへの両替
などを行い、空港からロンドンの町へ向かうことになり
ました。

当然、ここまでは予定通りのフライトによって、迷うこと
なくロンドンに降り立ったわけですが、これからは、ガイド
ブック頼りの特に宿も決めておらず、空港から市内まで行く
交通手段、市内では今日泊まる宿探しが最初の務めとなり
ます。

記憶を辿ると、ロンドンの印象は列車と地下鉄を乗り継いで、
ピカデリーサーカスに向かいました。

地下から階段を人が行き交う光に向かって上がっていくと
そこには、ロンドン名物の赤い2階建てバスや観音開きの
ロンドンタクシーが走る、決して日本ではない景色が広がっ
ています。

当時は、スマホのなくネットもそんなに発達していなかった
時代、二人の日本人青年旅行者が、このロンドンの町を
地球の歩き方というバックパッカー御用達のガイドブック
とロンリープラネットという英語版のガイドブックを手に
宿探しはじめました。

ロンドンは、ヨーロッパでも物価が高いため、イギリスでは、
B&B(ベッドアンドブレックファースト)という形式の宿に
泊まるのが一般的でした。

それでもロンドンは、他の都市よりもⅠ、5倍から2倍ぐらい
高く、あまりキレイではない宿でも、4000円前後した
のではないかと思います。

最初に宿泊したのは、インド人経営のB&Bでした。

イギリスには、以前植民地にしていたインド系人種も多かった
印象でした。

そこから約2週間の日程で、イギリス国内を周る予定でいました。

当時、ヨーロッパはまだEUではなくEC(ヨーロッパ共同体)
だったと思います。なので、国境を越える時は、出入国での
検査はありました。

ヨーロッパの旅行は基本的に列車の旅になりました。
今のように、LCCという格安航空会社などはなかった時代でした
ので、早く目的地に移動することより、ゆったり、時間をかけて、
安くヨーロッパ内を旅行するには、列車網が発達している
ヨーロッパをじっくりと旅できたので、こういうことを考えると、
全てが何でも早く、便利がいいということでもないですね。

ただ、大学生で時間があったからできたのだと思いますが、
いずれまた、このような旅をする時間と体力があればやりたい
ですね。

話をもどして、イギリスは別でしたが、多くの西側諸国はユーレイル
パス(学生は2等のユーレイルユースパス)という外国人向けの
1ヶ月乗り放題のパスを使うことで、移動費を節約出来ます。
(現状のパス詳しい内容については、ネットなどで調べてみて下さい)

イギリスでは、ユーレイルパスが使えず、ブリットレイルパスという
イギリス独自のパスを使うことになりました。

イギリスは、北部に向かい、エジンバラ、グラスゴー、ネッシー
という恐竜で有名になったネス湖のあるインバネスというスコット
ランド地方まで足を伸ばしました。

とても印象深いのは、エジンバラでしたが、スコットランドの中心
都市で、エジンバラ城という古城があり、全くロンドンとは趣も違い、
綺麗な街でした。

ネス湖はかなり北にあるので、真夏なのにとても寒かったのを思い
だします。

ネッシーと言えば、僕ら世代は子供の時にテレビでも話題になり、
一世を風靡したので、お分かりの方も多いと思いますが、行って
みれば、ただの湖です。ここで幻のネッシーがいたのかと、想像を
膨らませるだけでしたが…(笑)

イギリスは日本と同じ島国ですから今度は、ドーバー海峡を船で
フランスまで渡り、そこからさらに本格的な列車旅が始まります。

ヨーロッパの列車は、比較的快適でした。コンパートメントという、
個室の席もあり、テレビでもおなじみの「世界の車窓から」の世界
ですね。

こういう旅をしていると、飛行機だけで目的地に行って観光する
だけの楽しみと別に、列車での現地の人との出会いや、また、
バックパックをしている旅行者との出会いも多くなり、当時は
結構日本人もバックパッカーを見かけましたが、「今までどこに
行った、ここ良かったよ、これからここ行きます」などの
情報交換もできて、こういう旅をしているとこういう旅をして
いる人達が集まる宿なんかもあったりします。

初めてヨーロッパに行って思ったのは、街が洗練された感じで、
石造り建物も多いので、古い町並みを多く残しているところが
多いと思いました。

ロンドンやパリなどの大都市は、最初のインパクトはありますが、
立ち寄ってここにもっといたいなと感じるのは、田舎町が多かった
です。住むのとは別なんでしょうが、ヨーロッパは特に田舎町が
最高にいいです。

ドイツでは、有名なロマンティック街道沿いに田舎町を訪れ、
ミュンヘンでは、有名なホーフブロイというビアホールで
生バンドの盛り上がりのなか、1リットルはあるジョッキで
ソーセージをつまみにビールをのみあかしました。

大自然でアルプス山脈に囲まれたスイスには、当時一番
行きたくて、登山列車でグリンデルワルドに行った感動は
今でも忘れません。

ドイツとスイスは、安く宿泊するにはユースホステルが充実
していて、ドミトリーでしたが清潔感もあって、外国人の
学生なんかと交流出来て楽しかったです。

今はわかりませんが、学生にはお勧めと思います。

ここで、男二人旅での注意事項として、お教えしたいのは、これは
長い旅が続くとありがちなんですが、結構けんかして折角の旅が
楽しくなくなったなんて聞くことがあります。
最初は不安で二人で行くことで何かあっても心強いんですが、
長く過ごすと、自分はここに行きたい、あっちも見たい、おれは
ここでゆっくりしたいなど、エゴというか願望と言うか、色々と
感情が芽生てくるんですね。

こう言う時は、一時でも離れることで、一人の楽しみとまた、
二人でいた方が楽しいという感情が生まれて、リフレッシュできる
ことができたと思います。

なので、僕らも旅行中一度、離ればなれになって、それぞれ行きたい
ところに行こうということになり、僕らはスイスで別れて、僕は、
イタリアのミラノ、ベネチアに訪れました。

当時、イタリアは置き引き、ひったくり、日本語や英語で話しかけ
てきて、お金取れれるなどの悪評を聞いていたので、最初はビビっ
て夜行列車に乗ったときには、自分の荷物にチェーンキーをシート
にくくりつけて、ドキドキしながら一人で過ごしたのを思い出し
ます。

こういうことで、ほとんどけんかなどせずに思い出深い旅ができた
ので、これからこういう旅行をしたい人は、時々別れて、自由に
行動するといいと思います。

でも、中には一人は絶対やだという人は、ある程度相手にしたがって、
不満を言い過ぎないのがいいですね。

その時にどこで再会するかなどは、トーマスクックの列車時刻表を
確認しながらのどこどこに何時なんて話しをして、国をまたいで
南フランスのニースで落ち合おうということになりました。

1週間ぐらいでしたが、全く一人で知らない外国で過ごすのは、
初めての体験でしたが、度胸もついて良かったですね。

大した期間ではなかったですが、再会できて感動しました。

そこから、スペインに向かい、バルセロナ、マドリード、トレド
セゴビア、アンダルシア地方と巡って、ヨーロッパの最終目的地
のフランスのパリまで夜行列車で向かうことになりました。

セゴビアのアルカサール

 

 

 

 

 

 

 

当時は、深夜でも国境を越える時は、パスポートコントロールで
起こされて、出入国の手続をする必要があったんですね。

今は、EU加盟国同士ではパスポートは必要ありませんが、通貨も
変わったりするので、国境越えの緊張感も味わえました。

パリは美しい街だと思っていたのですが、結構、街には犬の糞も
あったり、思ったほどキレイではなかったですね。

この時のヨーロッパで訪れた国は、イギリス、フランス、ベルギー、
ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、イタリア、スペインでした。

旅の本質は自由と冒険

あっという間のヨーロッパを後に、40日ほどの日程のヨーロッパ
でしたが、僕たちはここで普通に帰国するのではなく、最初に話し
た通り、まだまだ違う国に行くことになります。

搔い摘んで話していますので、なんか旅行の内容が伝わりづらかった
かもしれませんが、本当に初海外での体験は素晴らしい経験となり
ました。

旅は海外でなくてもいいと思いますが、言葉の通じない外国に行く
ことは、とても色んな意味で貴重な体験ができたと思います。

とにかく、自由ですし、度胸がつきますよ。

時間とお金(これは普段節約すれば可能ですね)に余裕があれば、
是非、やってみて下さい。

学生さんなんかは、ツアーじゃなくてフリーで自分で計画を立てて、
行くのがいいですね。

これから先の話しは、また今度話したいと思います。

これからはアジア編です。

では、今日はこの辺で…

Filed Under: 旅について Tagged With: 旅 体験, 海外

人生にとって大事な体験の一つが「旅」

2018年5月8日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

今日は、自分の人生において影響を与えたことに
についてお話ししたいと思います。

自分の人生を変えた出来事とは…

  • ブルースリーに憧れたこと
  • 空手をやっていたこと
  • 海外に旅に出たこと

自己紹介でもはなしましたが、自分の人生を変えた
キーワードは「ブルースリー」「空手」ともう一つは、
「海外旅行」だと思いますが、自分が体験した「海外
旅行」とは「旅」という表現がいいと思っています。
なんとなく楽しむだけの海外旅行ではなく、未知への
世界へ訪れる「旅」として表現したいと思います。

ということで、今回は少し自分の海外での旅体験に
ついてまた、それ絡みの内容を何回かに分けて話
して行きたいと思います。

僕が人生初めて飛行機に乗ったは、大学2年の夏休み
でした。この時がまた、人生初の海外への旅だったん
です。

空手の友人と共に、男二人でその旅の計画したん
ですが、生まれて初めての海外ということで、計画
段階から非常にテンションが上がっていました。

誰でもそうだと思いますが、ワクワクするような
出来事というのは、計画段階から想像が膨れ上がって、
計画している時が一番楽しいと思います。

この時はなんと言っても初海外屁の旅だったので、
まず、どこの国に行くか、どれぐらいの日程で行くのか、
どの航空会社を使っていくのか、予算はどれくらい必要
かなど、二人で行くと言っても、日本を出たことがない
人間が当時の僕は不安一杯で色んな想像をしながら計画
を立てた覚えがあります。

その時、他にも海外に行く友人もいて、ヨーロッパに
行くと言うことでしたので、じゃぁ、最初はヨーロッパ
にしようということに決まりました。

日程は?と言ったら、夏休みにしよう、それも65日間
という結構長い日程に決まりました。

当時、こんなに休みが取れるのは大学時代しかできないこと
だと大学に行けたことを親に感謝しています。(その後も
旅行にはまり、全く勉強をすることを疎かにしていました)

当時、友人が沢木耕太郎の「深夜特急」という小説を読んで
いて、身近な友人達もバックパックというスタイルの旅行
で行くのが「旅」ということで、大体の日程を決めたら、
宿は決めず、実際現地に行ってから決めようということに
なりました。

今ではバックパッカーというと多くの人も知ってる方も
多いでしょう。

65日間も海外旅行に行くのに、たったのそれほど大きく
ないリュック1つに、数枚の着替えと必要最低限な携行品、
ガイドブック、命の次に大事なパスポート、バイトで必死
に稼いだ旅費を握りしめて、という感じです。

英語もまともに話せない二人が初めての海外で、
65日間も海外に行けるのかという思いと、初めての
海外に行ってどんなことが起きたり、写真でしか
みたことのない建物や景色を見るという期待感が
胸膨らんで、せっせとバイトに励みました。

 初めての旅の計画はどのルートで行くのか

旅の日程はヨーロッパということで決めたのですが、
では、どのようなルートでいくのか決めなくてはなりま
せん。

 

 

 

 

 

 

 

飛行機を使っていくことになりますが、航空会社は色々と
あり、ヨーロッパには北回りと南回りというルートが
あります。

当時、北回りというとアメリカのアラスカにアンカレッジ
という都市があって、そこを経由するのが一般的でした。
(ロシア上空は当時はアエロフロートというロシアの航空
会社しか飛べなっかたので)時間的にも南回りよりも
当然早く行くことが出来ます。

しかし、学生でしたし、時間はかかるけど予算的に安く
ヨーロッパに行くには、南回りの航空会社を使うことに
しようということになり、最終的にマレーシア航空を使う
ことになりました。

話はちょっと脱線しますが、

今では、スカイスキャナーという格安航空券を調べる
サイトがあります。

これで調べれば、いつ、どこからどこまでのルートで
どんな航空会社が飛んでいるのか簡単にわかって、
最安値もすぐにわかります。

今は、LCCなんて昔はなかった航空会社がいくつも
あるので、制約があって、仕事をしてる人には
使いにくいですが、時間に余裕のある人には
今本当に安く海外に行くことが出来ます。

当時は格安航空券と言っても、夏休みで南回り
の航空券で20万円もしました。

数ヶ月のバイトで貯めたお金をはたいて旅費に
しました。

話をもどして、南回りのルートを取ると、時間は
かかりますが面白い旅が出来るのも1つメリット
でした。

時間が65日間という理由には、ヨーロッパ以外にも
立ち寄ることを考えての日程でした。

マレーシア航空を使うとまず、成田からクアラルンプール
に向かいます。そこで機材を乗り換えて、ドバイ経由で
ロンドンに向かいます。

帰りの便は、パリからやはりドバイを経由して、また
マレーシアのハブになるクアラルンプールで乗り換えになる
のですが、ここで僕らは2週間ぐらいの日程を取って、
マレー鉄道と長距離バスを使って、隣国のタイのバンコク
に行こうと決めました。

そして、クアラルンプールに戻り、そこから香港に立ち寄り、
3日間ほど滞在し、香港から台湾の台北に立ち寄ることも
出来て、そこでは当時、友人が台湾に住んでいたので、
2週間ほど滞在するという日程になったのです。

基本的にここまで決めたら、あとの細かい予定は決めず、
ホテルも現地についてからその日の都合でガイドブック
を頼りにチェックインをするということにしました。

これで、世界一周までとは行きませんが、かなり壮大
な旅という感じで、深夜特急では、主人公は1年以上かけて
ユーラシア大陸経てロンドンまでの道のりの物語ですが、
この話の一部を体験できる感じにはなった気分でした。

今考えるとこれが、僕の初めての海外旅行を元に何かを
計画する体験を味わったことじゃないかと思っています。

実際、初めての旅行で二人で行くことになったので、友人と
ともに計画をしたんですが、こんな長い海外の旅を計画
するというのは、自分にとっては重要な体験でした。

勉強もろくすっぽ出来なかった自分が、海外旅行に興味を
持ち、初めて行く未知な場所に行く計画を立てるという経験は、
その後の仕事にも役立ちました。

(実際、これがきっかけで海外旅行専門の旅行会社に就職
しました)

まだまだ、話したいことはありますが、今日はこの辺に
したいと思います。

では、またブログでお会いしましょう。

Filed Under: 旅について Tagged With: 旅 体験, 海外

確実に目標を達成するには

2018年4月30日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

何故、私が柔道整復師を選んだのか…

僕は、小学生の頃に骨折をしたり、怪我を良くして
いました。

そんな時には、近くの整骨院に行って、治してもらい
ました。

その時の先生がとてもいい先生でした。色んな話も
聞いてくれて、自分は昔は引っ込み思案で、大の恥ずか
しがりやでした。

前にも話しましたが、転校して以来、虐められっこで
友人との付き合いもうまく出来ないことも多かったです。

そんな時に、怪我をして整骨院に行った時に、その先生
はとても話しやすくて、毎日のように通ってました。

その当時は、そこまで思わなかったんですが、その先生
をふと思い出すことあった時に、整骨院の先生になれれ
ばなあ、なんて思ったことがありました。

その思いが叶ったのか、大学時代の友人(世話になった
整骨院の院長のHS君)が整骨院の先生になる学校に
通うということを知り、僕もいつかはなろうと心に
決めた瞬間でした。

もう一つの理由は、自分が空手をやっていたのですが、
フルコンタクト空手という、直接打撃制の空手でした。

昔の自分では考えられないぐらい、こんなこと続けられ
るのかと思うぐらいの激しい稽古でした。

当時の先輩方はとても強い方が多かったのですが、
稽古や審査会(級を上げて帯の色が変わっていく、その
頂点は黒帯)などで、先輩と組手をした時は、赤子の手
を捻るぐらいの力の差があり、あっけない結末は言うまで
もありませんでした。

現役時代は、骨折や打撲、捻挫、半月板損傷など数多く
の怪我を経験しました。
そんな自分がいずれは、現役を退いてもこの仕事なら、
自分の数々の怪我をした経験から、きっと将来において
も人の役に立つことができるんじゃないかと思ったこと
も大きかったです。

しかし、「お金のない自分が、整骨院の先生になるのは
至難を極めました。

自分がしっかりしていれば、もっと早く学校にも通えて、
この世界に早く来れたかもしれませんが、10年近く
かかりました。

この資格自体、難しいかというとそんなに難関な資格
ではないんですが、資格の難しさというよりも、この
職業になりたいと思って、社会人を辞めて、金銭面や
3年間年下ばかりの整骨院で下積みをしながら、学校
に通うのもそれなりの苦労がありました。

母親も大病になってしまったこともありました。

でも、やはり思いは強ければ強いほど叶うんだと実感
しました。

最初になりたいと思った時は実際、本当になれるか
本当は不確実なものでした。

だから、最初のころはなんとなくというような感情も
あったので、お金も溜まらず、現状の仕事の忙しさに
追われていました。

時間はかかりましたが、最終的になることができたん
ですね。

意識を強く持っていると、行動がその方向に行くように
変わっていくんだなと思います。

サラリーマン時代に、インド人の友人に誘われて、ある
セミナーに参加したことがありました。

また、インド人てのが怪しいですよね(笑)
(ここでなぜインド人がでてくるのかは、ここでは話し
ませんが、いつか改めて機会があったら話します)

当時のお金で、結構なセミナーだったんですが、本当に
大丈夫かなと、最初は半信半疑でした。

でも、その時に教えてくれた先生が、短期、中期、長期の
計画を作って、そした最後になりたい自分になったことを
コミットメントしなさいと、言われました。

ここでコミットメントという言葉を覚えたんですが、この
ことがとても心に残り、この優柔不断な自分がある道に
向かって行動したんだなと思います。
絶対、柔道整復師になるぞ!と諦めずにコミットメント
をしたことで、行動が変わり、その道に導いてくれたんだと
信じています。

自分で決めたことを必ずやり遂げる自分への誓い…

ここで、言葉だけではなく自分に対しての誓約書を書いて
おくといいと思います。
重要なのは、いつまでになるか、そして、書いた日の日付
と自分のサイン。これは今日、自分が決めた日にちという
ことです。

裏を返せば、この日にちを入れた時点で、達成する日は

確実になります。

例えば、

誓約書

ちょっとしたメモみたいですが、これはとても大事な
ことです。手書きでなくてもいいですが、署名は自筆                       
でして下さい。

必ず、いつも目につくところに貼っておいて下さい。

今の鬼軍曹のS氏にも言われますが、本当に何かをする
時は、絶対にやると決めて、決めたことは曲げずにやり
つづけることが大事なんだなということです。

こう偉そうに言ってなかなか難しいことですし、楽しい
ことや、最近で言えば、やるべきことをやらずに、
YouTubeやfacebookをやってみたり、横道にそれること
は多々あります。

でも、本当にやりたいと思ったことがあったら、まず時間と
行動を管理しながら、強く意志を持って続けることなんだと
持っています。

自分なんかはもう時間的な余裕というものは、若い人に
くらべて、そんなに残っているわけではありません。

夏休みにしたら、あと10回か20回かそれぐらいしか
迎えることは出来ないと思います。

しかし、自分よりも若くからと言って、無駄に時間を浪費
したら、絶対後悔します。

20代、30代でまだまだ時間はあるぞ、なんて思っていると、
あっという間に、時間は過ぎていきます。

時間だけはお金が何億、何十兆あろうと、戻すことは出来ない
のです。

また、何かを計画する時は、短期的な結果だけを求めても
だめだと思います。

やっぱり、長期的な展望を考えて、日々の生活をしていき、
短期的な欲求にとらわれずに、絶対になりたい、やりたい
目標を達成していくことが、確実に結果を出せることだと
思います。

今日は、このブログを書いてる自分が、感情的にも熱く
なってしまいました。

今日はこの辺にして、スタバで本でも読みたいと思います。

今日も頑張りましょう!

Filed Under: 私について Tagged With: 空手、ツール、目標

開業への道 パート7

2018年4月30日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

いい治療家のいるところには患者が山のように来るのか

整骨院を開業するにあたって、最初に始めるときに
考えていたのは、治療技術が良ければ絶対患者さん
が沢山来てくれると思っていました。

以前のブログでも書きましたが、治療技術や色んな
治療法を知っているのは大事なことだと思います。

しかし、そこに整骨院がいつできたのか、その整骨院
の先生とはどういう人なのか、それこそどういう治療
をしているのかなど、何も宣伝しなければわからない
です。

整骨院の前を毎日通ってる人や、車良く整骨院の前を
通るなど、そこに整骨院の存在があるということを認識
している人ははそれほど多くないと思います。

それに、整骨院に通いたいと思っていない人がその前を
通っても、まず整骨院にくることはないです。

整骨院とはどんなことをしてくれるところかも、整体と
どう違うのかもわからない方は多いです。

何年も整骨院をやっていても、いつからここで整骨院
やってるんですか?とか最近始められたんですか?など
と言われることは良くありました。

まず、整骨院に来たいと思っている人に、整骨院の
存在を知らせない限り、自分の中で「俺はいい治療家だ!」
とか思っていても、患者さんは来てくれないです。

こう言うことを知らない状態で、整骨院を始めていたら、
今現在は続いてないんではないかと思っています。

最初に鬼軍曹のS氏には、開業して3年持つ会社は半分も
満たないと言われました。集患をどうするかということは、
起業に取って一番大事なことです。

要するに、どうやったらこの整骨院に人を集められるか
が一番最初に取り組まないとならないことです。
どんな商売でもお客さんが来なければ『倒産!』です。
ということを、S氏には言われたことを思い出します。

整骨院を開業する上でお客さんを集める重要なツール

自分がこのようなことに特に詳しいわけではないのですが、
一応、こう言う物を開業時に準備した方がいいと言うもの
の定番をざっと書いてみます。

Ⅰ ホームページ

あたり前のことを言いますが、これは現在のネット社会で
必要不可欠です。

それが、自分が開業するまでは全くホームページについて
の知識なんてありませんでした。

今もそんなに専門的に詳しいわけではないですが、宣伝する
にあたっては、絶対に作った方がいいです。

ただ、作ればいいという物ではないですよね。良く見かける
のは、いいホームページ作っても、全く更新された感じが
ないもの。

例えば、ブログ、facebook、twitter、 LINEなどこういう
SNS的なものをリンクさせて、院の情報などを載せるのは
いいと思うのですが、折角、そういうものがあっても、
更新しないと意味がないです。

一応、トップページの情報量も大事でしょうが、出来るだけ
ページ数はあった方がいいと思います。

これは後にGoogleのアナリティックスやアドワーズなどの
SEO対策というものでも重要です。どれだけそのホームページ
に滞在しているか、トップページだけではなく、他のページも
開いてくれてるかは、googleの上位検索に上がってくるので。

Ⅱ チラシ

今は整骨院でチラシを撒くところも少ないかもしれません。

しかし、僕は最初に行なって新患さんを集めたのは、この
チラシを撒いたことです。
チラシをどのように撒くかは、大きく2つあります。

① 新聞折り込み
読んで字のごとく新聞に挟み込むチラシのことです。

東京の場合、多くの方は朝日か読売だと思いますが、
この2社の新聞社に折り込みをしました。

開業時は、開業日前日の3日間は内覧会をしました。
その為、その内覧会のチラシと整骨院の宣伝用チラシ
を2種類をそれぞれ1万枚づつ読売、朝日で配り
ましたが、それなりに内覧会も見学に来てくれて、
初日の新患も思ったより来院患者さんを確保できました。

このことから、チラシは必ずやった方がいいです。

② ポスティング

直接、家のポストにチラシを投函するやり方ですが、
これは大体、1回数千〜数万枚やると思うんですが、
それぐらいの数を数日で配るのは、個人では億劫です。

僕は、開業当初はお金をかけずにポスティングした
ので、自分とスタッフで手分けして、空いてる時間に
ポスティングをやりました。全部で2万枚です。

隙間の時間や休みの日にやりましたが、数ヶ月かかり
ました。

結構、時間がかかりますので、よっぽどでなければ
専門のポスティング業者がいますので、そこに頼むと
1枚5円前後、集合住宅だけとか一軒家だけとか、
組み合わせや業者によって金額が数円違うこともある
ので、調べてみた方がいいと思います。

チラシについては、まずチラシのコピーを考えること
から始まります。

自分で出来ればいいですが、最初から広告文章を
スラスラ書ける人はいないでしょうから、それを
頼むと、数万円単位で費用がかkるでしょう。
さらに、印刷代、ポスティング代など考えると
全てを任せると、1万枚配るだけで、10万円台
の金額はかかってしまいます。

なので、自分は最初はケチって、自分でポスティングを
やりましたが、段々と時間の余裕がなくなってくるので
(いつまでもポスティングを自分で出来る時間があったら
逆にやばいかな)結局、業者に頼んだ方がいいです。

大体、数日から1週間あれば配りきってくれます。

一応、業者にはあまりチラシが多い時に一緒に配らないで
ほしいとか、あとは一気に配るのではなく、地域を決めて
今回6千枚をこの地域、次の6千枚はこの地域と何段階かに
分けて配るなどしたこともあります。

段々とどの地域の人が来てくれるか、やっていくうちに
わかってきますので、配り方は変化を加えてみるのもいい
と思います。

Ⅲ 看板

看板は当初、内装屋が看板も作ってくれたので、それを使って
いましたが、その数年後に看板もインパクトが大事と思い、
看板専門の業者に作ってもらいました。

やはり、専門業者の方が色々な情報やデザインを知ってるので、
看板も大事な集客ツールですから、いい物を作ってくれるところ
と相談しながら、作成してもらうといいでしょう。

その他、ネットではPPC広告というものや、エキテンなどの
ポータルサイトなどもあります。

この辺については、次回の機会にしておきましょう。

また、次回ブログでお会いしましょう!

Filed Under: 私について Tagged With: ツール, 開業

肝心要と肝腎要の違いとは?

2018年4月23日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

今日は、「肝心要(かんじんかなめ)」の話を
しようと思います。

この「肝心要」という言葉は、「肝腎要」という
言い方でも同じ意味で使われます。

辞典では、「特に大切なこと」という意味で使う
言葉です。

体で言えば、当然一番大事な部分のことを言って
いるわけですが、

体の機能から言っても「肝腎要」の方が理に
叶ってるようです。

どういうことかというと、

1、肝=肝臓
2、腎=腎臓
3、要=腰 です。

腎臓は血液の浄化をするため、血液の濾過装置の
ようなものです。そこで濾過された血液が尿として、
排泄されるわけです。そのキレイにされた血液が
肝臓に流れていくんですね。

肝臓は主に解毒作用が中心ですが、腎臓は肝臓の
負担を減らすために、キレイな血液を送るのですが、
腎臓機能が低下すると、腎臓はその後に肝臓の機能も
低下してしまうということです。

また、良く死を迎える時に「心不全」ということを
言われますが、その前に腎臓の機能低下が起こり、
「腎不全」となり心臓が停止するため、ここで言う
「肝心要」の心が腎と同等に扱われることがうなずけ
ますね。

これらの臓器は、この言葉で表現される通り、重要な
臓器ということがわかります。
また、この腎臓機能低下の原因については、体の
歪みが大きく関係していることです。

体の歪みが、腎臓を圧迫してしまい、腎臓の働きを
悪くしてしまうことに繋がります。

例えば、姿勢が悪く骨盤(腰)が後傾している人の
多くは、大腿部の筋力低下、特に裏側のハムスト
リングスの筋力は弱くなり、お尻部分の大臀筋の
筋力低下が起こり、骨盤もさらに後傾してしまいます。

そうすると、猫背姿勢にもなり、背中側について
いる腎臓が圧迫を受けて、腎臓機能の低下を起こし
てしまいます。

当然、腰痛の原因にもなります。

先程も言いましたが、腎臓の機能低下は他の内臓器官
にも影響を与えますし、冷え性や婦人科系疾患、あまり
知らない方も多いと思いますが、耳の疾患にも関係する
ということで、大事な臓器ということが言えますね。

今日は、肝腎要という言葉からちょっとした体のお話
でした。

一応、整骨院の先生なので、こんなちょっとした健康話
もしていきたいと思います。

また、次回のブログでお会いしましょう!

Filed Under: 健康について

昔を思い出して感じたこと…

2018年4月19日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

人生における変化とは…

最初の自己紹介のブログでも書いたと思うんですが、
僕は、小さい頃は弱虫でどうしようもない人間でした。

あの時はつらかったな〜。

それでも時には、良いタイミングで何か変化が起きる
ことがあります。

例えば、その弱虫な自分に、ブルースリーが好きだった
こともあり、友人から空手に誘われて始めました。

最初は、こんなに激しく殴り合って、自分はつづけられる
かななんて思ってやってました。

当時は、今までに経験したことのない厳しい稽古で、
ヘトヘトになりながら、恐らくそれまでの自分であったら、
続けられるわけがないぐらいの稽古だったと思います。

辞めてしまおうと思ったことも多々あったと思います。

けれども、その時の友人関係も含めて、非常に空手の仲間
には恵まれました。

結局は、そんな厳しい稽古をしていても、とても楽しく
続けていくことができました。

これは自分に取っても重要なことです。

もし、あの時空手を辞めていたら、厳しさに負けて続ける
勇気を持てずにあきらめてしまっていたら、今の自分はな
かったと思います。(だからと言って、今の自分がそんな
に立派なわけではなんですが)

空手を続けたことで、黒帯を取れた、大会で入賞出来た
など、それなりに結果を出せたことが、また、一番大き
かったことは精神的にも大きく変わったところじゃないか
と思います。

それまでは、飽きっぽくて、何かを長く続けることなんて
出来なかったです。
空手は(途中仕事が忙しくてブランクもありましたが)
トータルで20年以上続けていました。

骨折や半月板損傷などそれなりの怪我をしたこともありま
したが、それも今の自分を形成した勲章のようなものだと
思っています。

空手に興味のない人は、そこまでしてなんで人に殴られて、
怪我までして楽しいの?と言われることもありました。

最初は自分も、空手をやって強くなって虐められたやつを
見返してやるんだなんて思って始めたところが大きかった
んですが、それ以上に、精神的に鍛えられて今の自分が
あります。

それは損得勘定というものはなくやり続けられ、環境も
あったとは思いますが、自分にとっての核となっているもの
が生まれたと思っています。

このことは、今の仕事をしていることや開業したことにも
大きく繋がっています。また、飽きずに、継続することだ
と思います。

失敗したり、上手くいかないことも多々あります。

開業していても多くの問題を抱えたこともありますし、
現状においても未だ発展途上です。

改善しなければならないことが沢山ある中で、ある問題点について
変化をつけて、様子を見て、また変化をつけて、またテストを繰り返
すような形で、良くしていくといいと思います。

ダメだったら、さらに繰り返し変化をつけて改善しようという
意識が大事です。

結論としては、なんでも興味を持って、あきらめずに続けることが
大事なんだと思います。

そうすれば、何かしらの結果が出てくると思います。

このブログを見ていただいてる方も、そんなような状況にあったら、
飽きずに、あきらめずに、行動しましょう!

では、また次回のブログでお会いしましょう。

Filed Under: 私について Tagged With: 空手、開業

開業への道 パート6

2018年4月17日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

前回の続きです。

テンションが最大に…

内装に入っていくと、本当にここに自分の整骨院が
出来るんだなと、実感してきます。

それまでは、コンサルティングの方との打ち合わせ
だったり、お金を借りる手続だったり、会計士との
打ち合わせだったりと、なんだかんだ忙しいさだけ
で、あっち行ったり、こっちに行ったりと慌ただしい
日々が続きますし、慣れないことをあれこれやること
で大変でした。

しかし、がらんとした無機質な単なる真っ白な壁だけ
の自分の借りた物件が、内装屋さんが入って作業をし
始めると、日増しに物件の様子が変わってくる状況を
見て、ワクワクしてくる気持ちが高まってきました。

この1ヶ月弱の期間は、毎日物件を見に来るのが
楽しみでした。

一番テンションが上がってた状態かなと思います。

新しい内装の匂い、まだ機械も何も入ってないキレイに
内装が仕上がった部屋の真ん中に一人、仰向けに寝転がって、
これから開業してからのことを、色々と想像したことを
思いだします。

内装が出来上がると、そこには治療機械や治療用ベッド
などがどんどん入ってきました。

そうなると、本当に整骨院らしくなってきました。

今すぐにでも患者さんが来て、治療出来るなという感覚
でした。

ただここからは、開業日にどれだけの患者さんが来てくれ
るのかという、不安と期待の感情がザザッーと大波のごとく
押し寄せてきました。

皆さんも、開業をすると感じるかもしれませんが、開業日
がくるまでは、色んな開業準備で本当に慌ただしい毎日です。

これからは、特に患者さんが来てくれるには、どうして
いったかについて、少し書いていこうと思います。

整骨院経営について重要なこと…

ということで、これからは最大の鬼軍曹SH氏との
集患におけるマーケティングについてなどをどうして
いったかなどの、お話していこうと思います。

整骨院、鍼灸院、整体院、リラクゼーション系などの
治療院経営のなかでも、整骨院以外の形態は、2、3年
持たせるのはかなり厳しいと言われております。

整骨院は今までは、どうにかこうにか続けてられている
ところが多かったのですが、最近はかなり競争が激化し、
資本の強いグループ院や集患の強い整骨院が残ってきて
いると思います。

今だに、お付き合いさせていただいていますが、
最初にこのSH氏に経営相談をしていなっかったら、
僕がここまで整骨院を続けていられることはなかったと
思います。

治療院は先生の治療技術が重要と思われがちですし、
それは当然なんですが、マーケティング的なことを
まるっきり知らないではじめると、経営という意味では
失敗する可能性も高いと思っていますし、そのように教え
られて自分の考え方も、当初の考え方からかなり変わった
ところです。

僕は、現在では治療についても師事している先生もおり、日々
患者様のために効果的な治療の向上にも心掛けています。

その上で、どのように集患をしていけばいいのかということも、
重要なことでです。

これからもそう部分についても書いていきますので、またブログ
を読んでいただけると嬉しいです。

今日もお忙しいなか、吉尾のブログを読んでいただき、ありがとう
ございます。

今日はこの辺で…

Filed Under: 私について Tagged With: 開業

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