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吉尾正人のブログ

旅 体験

人生にとって大事な体験の一つが「旅」アジア編

2018年5月19日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

今回は、前回からの続きですが、ヨーロッパはパリを跡に
して、東南アジアへの旅が始まります。

今までとは180°違う世界の地を訪れて…

行きと同じようにドバイ経由で日本に向かうのですが、行きは
トランジットだけであった、クアラルンプールに降り立ち、
ここからはアジア旅になるわけです。

クアラルンプールは、中国人とマレー系の人種が混在する国で、
今では日本人の移住人気ナンバー1みたいですが、東南アジア
のいいのは、常夏なところと雰囲気ですね。

クアラルンプール旧市街

前日までいたヨーロッパとは、全く違う世界で、この
変化が楽しかったですし、印象深い思い出となってます。

クアラルンプールのホテルは、確か一人1000円ぐらいの
宿だったと思います。

かなりの古さを感じる宿で、1階に中華レストランのある、
マレーシア華僑の経営と思われる安宿でした。

夜寝ていると、通路で何人も従業員が簡易ベッドで寝ている
ようなところで、いびきはすごいし、ヨーロッパの安宿とは
比べものにならない環境でした。

街は、華僑とマレー系が混在する国なので、イスラム教の
モスクなどアラブ風建築も見ることが出来ます。

華僑の勢いも凄くて、市場の通りはかなり賑わっています。

東南アジアに来て最初に凄いと思った体験は、なんといっても
スコールです。

道が渓流のような流れで、膝ぐらいまではあっという間に
水没してしまうぐらい降ります。

クアラルンプールからは、隣の国タイのバンコクに行くこと
が目的でした。

バンコクまでは、マレー半島を縦断する約1500キロの
行程です。

行きは、長距離バスを使って行く予定にしていたので、
バスターミナルに向かいました。
マレーシア国内のみならず、陸続きのため隣国タイやシン
ガポールなどの国にも路線があります。

アジアのバスターミナルは、多くの人がゴチャゴチャと
色んな都市に向かって行く人が集まってきます。

クアラルンプールからはまず、タイのバンコクに向かいます

この時の、マレーシアのバスが最悪で、自分のバスの座席の
上にクーラーの通風口があったんですが、そこからクーラーの
水がポタポタと落ちてきて、頭に垂れてきます。

全く眠れたもんじゃありません。他の席もいっぱいで変われる席
もありません。

苦痛を我慢しながら、さらにガンガン冷房も効きすぎるバスに
揺られて、国境を越えタイに向かいました。

マレーシアとタイとは時差が1時間あります。

日本からはマレーシアは−1時間、タイは−2時間です。
普通にバスに乗って国境を越えると、時差があるのを
忘れてしまうこともあります。

ここで一夜が明けて、バスを降りろと言われ、バンコクに
着いたのかと思いきや、町並みが違うぞという感じで、
確認してみると、南部のハジャイという街でした。

ここを経由するのはわかっていたのですが、ここでバスを
乗り換えることは知らされておらず、取り敢えず、バンコク
行きのバスが発車する時間まで待たされることなりました。

旅には、こういうことは時々起こります。

こちらのコミュニケーション能力の問題とこういう国の
インフォメーション不足と噛み合ないことは多いです。

タイの南部は、宗教問題で、治安が悪いところもあるという
ことを聞いていたので、ちょっと気をつけながら行動をして
いました。

ほとんど休むことなく、これからさらに10時間以上かけて
バンコクに向かうことになります。
ただ、今度のバスは今まで乗ってきたバスに比べて、キレイで
比較的快適でした。アテンドの女性もいて、途中のドライブイン
で食事も提供されました。

これならいいなと思いながら、さらに一晩かけてバンコクに
向けてのロングドライブです。

バックパッカーの集まる聖地バンコク

やっと着いた、という感じで、ここからはいつもの通り、
宿探しになります。

バンコクのバスターミナルから、当時バックパッカーが
良く泊まる安宿探しです。

バックパーカーの聖地カオサンストリート

当時は、あんまりインフォメーションもなく、地球の歩き方
だよりで、長旅の疲れを癒すことなく歩き続けなかればなり
ません。

やっとのおもいで、宿にたどり着き、荷物をおきます。

安宿のため、冷房ではなく、天井に扇風機が回るファン
のみの部屋でした。

すぐさま、部屋をでて、街に繰り出しました。

今考えると、元気だったなと思います。こんだけの、
行程でもさらに、宿を探して、さらに休まず街へ繰り出せる
元気がありました。

バンコクは車も人も多くて、渋滞がひどいです。
かなりの大都市です。

渋滞と言えばバンコク

しかし、今現在のバンコクは、当時のバンコク以上の発展を
遂げ、高層ビルが建ち並んで、今の日本より景気がいいんだな
と感じます。

物価も当時ほど安さを感じません。

色んな意味で、発展を遂げるのは住んでる人にはいいこと
なんでしょうが、旅行者に取っては少し残念なところもあり
ますね。

バンコクの有名な寺院や中心地のサイアムスクエアや日本人
が多いスクンビット地区やシーロム地区などをバンコク名物
の三輪タクシーのトゥクトゥク乗りながら、バンコクを巡り
ました。

チャオプラヤ川沿いにそびえる暁の寺

アジアなどの地域を旅をして面白いのが、金額の交渉という点
ですね。このトゥクトゥクも交渉次第で金額を決めるので、
人によって値段が変わります。

この点は、タクシーのようにメーターがついていないので、
しかたないですが、メーターのついてるタクシーでも法外
な金額で交渉しないと乗れない悪徳タクシーも多くあるのが
現状です。

最近のバンコクは、トゥクトゥクの台数が減ってきていて、
ちゃんとしたメータータクシーに乗れば、交渉する手間もなく
正規の金額で乗れるので、お得です。冷房も効いているので
快適です。

また、もう一つこの頃の時と今のバンコクが違うのは、市内
をBTS(スカイトレイン)と地下鉄が運行するようになったこと
です。

今では、この市内を走る電車網のおかげで、渋滞のひどい
バンコクの街をタクシーなどを使わなくても、路線があれば
時間も正確に移動出来ることができるようになりました。

これは僕が初めてバンコクにいったころにはなかったことですが、
バンコクが急速に発展をしていることを感じさせる事情の一つ
ですね。

この旅行のなかでも、バンコクは物価も安く、雰囲気も楽しく、
以後何度も訪れることになりました。

このとき以外のタイ旅行については、いずれまた、違う時にでも
お話ししようと思います。

さて、バンコクの滞在も終わり、再度飛行機はクアラルンプール
からの出発になるので、マレーシアに戻らないとなりません。

クアラルンプールへは、マレー鉄道で帰ることにしていたので、
荷物をまとめて、バンコク中央駅であるホアランポーン駅に
向かいます。

アジアの列車旅は最高!

駅は大変特徴的な趣のある外観です。本来なら寝台を選ぶところ、
空いてなかったため、2等の普通席を選ぶことになりました。

およそ24時間ほどの列車の旅になります。

行きのバス同様2等席ということもあり、また過酷になるかな
と想像しました。

列車はゆっくりホアランポーンを出発し、日本の特急列車よりも
穏やかなスピードでタイ〜マレーシアを走り抜けて行きます。

バスのように、途中で乗り換えはなかったのですが、マレーシア
に入ってすぐの国境近くのバターワースという街(ペナン島に
行く人はここからフェリーで行く)で、時間調整となりました。

数時間停車して、再度出発するのですが、最初の方で話した通り、
タイとマレーシアには1時間の時差があります。

到着時点でマレーシアなので、1時間時計を進めないとなりません。

そうしないとここでの出発時刻はマレーシア時間になるからです。

ということで、その時に同じ列車に乗っていた日本人の新婚さんが
時間があるので、ペナン島まで行って来るということだったんです
が、出発時間になっても帰ってきません。

ペナンで泊まるのかなと思いながら、列車は走り出しました。

マレーシアに入ると、熱帯雨林を思わせるジャングルのなかを列車
は走って行きます。

昼過ぎに出発し、翌日の同じような時間にやっとクアラルンプール
に到着しました。

移動をしたらいつも通りやることは、宿探しです。

今回は、行きに泊まったより500円ほど高いところに泊まった
ので、結構快適でした。

そこになんと先程バターワースでペナンに行ったカップルに遭遇
しました。

あれからどうしたのか聞くと、やっぱり時間を変えずに駅に戻ったら、
列車は出発してしまっていたということで、ペナンに戻り、飛行機で
クアラルンプールに来たそうです。

時差というのは、こう言う時に問題が起きるのでたまたまですが
隣の国で時差がある時は気をつけなければなりませんね。

そして、今度はケアラルンプールを出発し、次の目的地香港に
向かいます。

ブルースリーの誕生の地

香港と言えば、僕の憧れたブルースリーがいた国です。3日間で
したが、それだけでテンションは上がりました。

昔はなかったブルーリー像

この時の香港はまだ、イギリス植民地時代で中国返還前です。

空港も町中にあり、飛行機は高層ビルの建ち並ぶ景色の中を
滑走路に降り立つという珍しい空港でした。

映画で見た世界でしたが、今はもう経験出来ない光景です。

街は、ブルースリーやジャッキーチェンの映画に出て来る世界で、
高層ビルがニョキニョキと立ち並び、中国語の看板が通りを埋め尽くし、
二階建ての公共バスが走るのをみて、この時は香港映画も流行っていた
時代で、バンコクよりも進んだ国と思いました。

映画にも出て来る九龍という場所にある九龍城は、得体のしれない
ビル群で、ここに入ったら生きて出て来れない怖い場所だと信じ込ま
されていたので、ビビって当時入るのを躊躇しましたが、それは伝説
でした。

香港での宿は、チョンキンマンションという九龍にある安宿の
集まるビルで、ここは深夜特急でも主人公が泊まった宿が入ってる
バックパッカーには良く知られているところです。

ここで、値段と空きを確認し、宿泊したホテルは、本当にベッド上
でしか動けないスペースの狭い部屋でした。

ただ、2泊しかしないし、ほとんど街に繰り出して、寝るだけ充分
でしたので、問題無しです。

香港は、九龍と香港島を結ぶフェリーに乗り、小さいエリアでしたが
色々と歩き回りました。

100万ドルの夜景で知られるビクトリアピークに行ったのですが、
ここでもびっくりする経験をしたのが、今回のヨーロッパでスペイン
の宿に泊まった時に出会った方と、再会したことでした。

彼女は、ヨーロッパから一旦日本に帰国して、再度違う友人と
香港旅行に訪れていて、ちょうどビクトリアピークに来ているところ
で出くわしました。

ビクトリアピークからの100万ドルの夜景

当時、友人と「世界は狭いな」などと偉そうに話した記憶を思いだし
ます。

そんな香港はあっという間に過ぎて、最後の訪問地台湾に向かいます。

友人たちと過ごした一生忘れられない思い出の国

台湾の首都台北には、当時高校時代の友人と大学時代にバイトをして
いた時の先輩が住んでいました。


この高校時代の同級生が、僕以上のブルースリーファンで、そのこと
もきっかけで台湾に住むぐらいの彼でした。

彼とは高校時代は、ブルースリーが好きで意気投合して、四六時中
一緒に遊んでいた友人でした。

台北の見所や彼の遊び場のスポットなど隈無く案内してもらって、
非常に楽しい思い出でした。

台北は夜市が有名で、色んところに夜になると屋台がでます。

僕が好きだったチョウユンファ主演の「男達の挽歌」では、
当時の台北が出てきますが、台北も2年前にも行ったんですが、
昔とはかなり変わっていました。

今思い返すと、この時に戻ることが出来たら戻ってみたいなと
思える時でした。

こんな旅は二度と出来ないなと思います。

ということもありますが、この旅をきっかけに大学時代は、翌年南米、
卒業旅行でタイに行くなど、海外にハマってしまった自分がいました。

人それぞれ、旅の体験は違うと思いますが、是非、このブログを読んで
くれた特に若者達には、海外に行くことをお勧めしたいと思います。

別に、海外でなければならないわけでもないし、国内旅行でも問題
ないのですが、言葉と人種の違う人達しかいないところに、また
日本では見れない景色や体験が自分を成長させてくれたのだと思います。

ここで、旅ということにしたのは、大人になってお金が稼げるように
なれば、海外旅行なんていくらでも行けると思います。

今はLCCで東南アジアなんて片道1万代でいけるんですから。

僕が言いたいのは、旅と言う経験をしてみることで、自分でプラン
を考え、行き先に迷った時や、言葉の通じないところで、ガイド
もいない場所でどう対処していくか。また、ドミトリーでは、
世界各国から訪れるバックパッカーたちと交流できたり、自分も
英語は全くに近いぐらい話せませんでしたが、なんとか言いたい
ことを伝えようということをすることで、意気投合して仲良くなって
しまうような体験もできたり、違う国で再会する偶然や、今まで
想像したことのない数々の経験が出来たと思います。

なんか偉そうなこと言ってますが、ある趣味の一つです。また、
特に今はそんなに海外に出ることは難しくないでしょう。

僕もまだまだ行きたいところが沢山あります。

その時その時で、経済の発展に伴って、国の状況も変わりますし、
町並みも大きく変わっていきます。

行く年代でも、行った時の受ける印象や感情はちがうと思います。

それは貴重な経験になると思います。

もし、現在なにも趣味もやりたいことがないあなたには、機会が
あったら「深夜特急」でも読んで、旅のイメージに想像を膨らませて、
海外に旅に出て行ってみたはいかでしょうか。

ということで、今日は長くなりましたが、この辺にしておきます。

ではでは…

Filed Under: 旅について Tagged With: 旅 体験, 海外

人生にとって大事な体験の一つが「旅」欧州編

2018年5月14日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

今日は、前回の続きです。

何も知らない2人の若者の旅立ちの時がきた…

大学2年の夏休みにその計画は実行させれました。

今から30年ぐらい前になるでしょうか。

上野から京成スカイライナーで、成田に向かいました。

初めての成田空港に到着し、初めて乗るマレーシア航空
の機材が僕らを待ち受けていました。

当時はまだ、出発便の表示板は、電光掲示板ではなく、
ペラペラめくれるタイプのもので、カタカタと音を
たてながら表示が変わっていき、そこに自分の便名が
出るのを確認しました。

ここから体験することは、ほとんどが初体験ばかりの
ことでした。

チェックインをし、パスポートコントロールで、
パスポートに出国スタンプを押してもらうと、
その先は、日本でありながら日本ではないエリア
になります。

煌びやかな免税店が立ち並び、当時の自分はこの時点で
舞い上がっていたと思います。

初めての日本脱出が始まりました。

今回の空路の行程は、まず乗り継ぎのマレーシアの
首都クアラルンプールまで約8時間のフライトです。

飛行機が滑走路にゆっくりと動きだし、加速しながらの
離陸の時のドキドキ度は何とも言えない気持ちでした。

初めて飛行機に乗ったので、機内でのドリンクサービス
や機内食のサービスはとてもいい気分でした。

日本を出て人生初の国に着いた感動…

全く眠れず、クアラルンプールの空港に到着しました。

海外に行くといつも思うんですが、それぞれの国によって、
空気感(気温や湿度など)や匂いというものが違います。

このクアラルンプールも独特の匂いがありました。

初めての海外の地に降り立って、乗り継ぎのため空港から
は外に出れなかったのですが、二十歳そこそこの若造の
心はワクワクでした。

現在のクアラルンプールの空港は、非常に大きくいろんな
免税店が立ち並んでいるんですが、当時の旧国際空港は、
ほとんど店もなく、8時間ぐらいトランジットで只只、
次のフライトの時間まで待つのみでした。

ここから、今度はUAE(アラブ首長国連邦)のドバイを
経由してロンドンのフライトになります。

ドバイまで約7時間、ドバイで2、3時間空港待機に
なり、そこから約8時間ほどのフライトになります。

トランジットを入れると、24時間以上の過酷な移動
時間でした。

現在では、なかなかエコノミークラスでは、耐えがたい
移動時間だと思います。

ヨーロッパ最初の地、旅の始まりはロンドンから

やっとの思いで、ヨーロッパ初の最初の国であるロンドン
に到着し、入国審査、そして現地の通貨ポンドへの両替
などを行い、空港からロンドンの町へ向かうことになり
ました。

当然、ここまでは予定通りのフライトによって、迷うこと
なくロンドンに降り立ったわけですが、これからは、ガイド
ブック頼りの特に宿も決めておらず、空港から市内まで行く
交通手段、市内では今日泊まる宿探しが最初の務めとなり
ます。

記憶を辿ると、ロンドンの印象は列車と地下鉄を乗り継いで、
ピカデリーサーカスに向かいました。

地下から階段を人が行き交う光に向かって上がっていくと
そこには、ロンドン名物の赤い2階建てバスや観音開きの
ロンドンタクシーが走る、決して日本ではない景色が広がっ
ています。

当時は、スマホのなくネットもそんなに発達していなかった
時代、二人の日本人青年旅行者が、このロンドンの町を
地球の歩き方というバックパッカー御用達のガイドブック
とロンリープラネットという英語版のガイドブックを手に
宿探しはじめました。

ロンドンは、ヨーロッパでも物価が高いため、イギリスでは、
B&B(ベッドアンドブレックファースト)という形式の宿に
泊まるのが一般的でした。

それでもロンドンは、他の都市よりもⅠ、5倍から2倍ぐらい
高く、あまりキレイではない宿でも、4000円前後した
のではないかと思います。

最初に宿泊したのは、インド人経営のB&Bでした。

イギリスには、以前植民地にしていたインド系人種も多かった
印象でした。

そこから約2週間の日程で、イギリス国内を周る予定でいました。

当時、ヨーロッパはまだEUではなくEC(ヨーロッパ共同体)
だったと思います。なので、国境を越える時は、出入国での
検査はありました。

ヨーロッパの旅行は基本的に列車の旅になりました。
今のように、LCCという格安航空会社などはなかった時代でした
ので、早く目的地に移動することより、ゆったり、時間をかけて、
安くヨーロッパ内を旅行するには、列車網が発達している
ヨーロッパをじっくりと旅できたので、こういうことを考えると、
全てが何でも早く、便利がいいということでもないですね。

ただ、大学生で時間があったからできたのだと思いますが、
いずれまた、このような旅をする時間と体力があればやりたい
ですね。

話をもどして、イギリスは別でしたが、多くの西側諸国はユーレイル
パス(学生は2等のユーレイルユースパス)という外国人向けの
1ヶ月乗り放題のパスを使うことで、移動費を節約出来ます。
(現状のパス詳しい内容については、ネットなどで調べてみて下さい)

イギリスでは、ユーレイルパスが使えず、ブリットレイルパスという
イギリス独自のパスを使うことになりました。

イギリスは、北部に向かい、エジンバラ、グラスゴー、ネッシー
という恐竜で有名になったネス湖のあるインバネスというスコット
ランド地方まで足を伸ばしました。

とても印象深いのは、エジンバラでしたが、スコットランドの中心
都市で、エジンバラ城という古城があり、全くロンドンとは趣も違い、
綺麗な街でした。

ネス湖はかなり北にあるので、真夏なのにとても寒かったのを思い
だします。

ネッシーと言えば、僕ら世代は子供の時にテレビでも話題になり、
一世を風靡したので、お分かりの方も多いと思いますが、行って
みれば、ただの湖です。ここで幻のネッシーがいたのかと、想像を
膨らませるだけでしたが…(笑)

イギリスは日本と同じ島国ですから今度は、ドーバー海峡を船で
フランスまで渡り、そこからさらに本格的な列車旅が始まります。

ヨーロッパの列車は、比較的快適でした。コンパートメントという、
個室の席もあり、テレビでもおなじみの「世界の車窓から」の世界
ですね。

こういう旅をしていると、飛行機だけで目的地に行って観光する
だけの楽しみと別に、列車での現地の人との出会いや、また、
バックパックをしている旅行者との出会いも多くなり、当時は
結構日本人もバックパッカーを見かけましたが、「今までどこに
行った、ここ良かったよ、これからここ行きます」などの
情報交換もできて、こういう旅をしているとこういう旅をして
いる人達が集まる宿なんかもあったりします。

初めてヨーロッパに行って思ったのは、街が洗練された感じで、
石造り建物も多いので、古い町並みを多く残しているところが
多いと思いました。

ロンドンやパリなどの大都市は、最初のインパクトはありますが、
立ち寄ってここにもっといたいなと感じるのは、田舎町が多かった
です。住むのとは別なんでしょうが、ヨーロッパは特に田舎町が
最高にいいです。

ドイツでは、有名なロマンティック街道沿いに田舎町を訪れ、
ミュンヘンでは、有名なホーフブロイというビアホールで
生バンドの盛り上がりのなか、1リットルはあるジョッキで
ソーセージをつまみにビールをのみあかしました。

大自然でアルプス山脈に囲まれたスイスには、当時一番
行きたくて、登山列車でグリンデルワルドに行った感動は
今でも忘れません。

ドイツとスイスは、安く宿泊するにはユースホステルが充実
していて、ドミトリーでしたが清潔感もあって、外国人の
学生なんかと交流出来て楽しかったです。

今はわかりませんが、学生にはお勧めと思います。

ここで、男二人旅での注意事項として、お教えしたいのは、これは
長い旅が続くとありがちなんですが、結構けんかして折角の旅が
楽しくなくなったなんて聞くことがあります。
最初は不安で二人で行くことで何かあっても心強いんですが、
長く過ごすと、自分はここに行きたい、あっちも見たい、おれは
ここでゆっくりしたいなど、エゴというか願望と言うか、色々と
感情が芽生てくるんですね。

こう言う時は、一時でも離れることで、一人の楽しみとまた、
二人でいた方が楽しいという感情が生まれて、リフレッシュできる
ことができたと思います。

なので、僕らも旅行中一度、離ればなれになって、それぞれ行きたい
ところに行こうということになり、僕らはスイスで別れて、僕は、
イタリアのミラノ、ベネチアに訪れました。

当時、イタリアは置き引き、ひったくり、日本語や英語で話しかけ
てきて、お金取れれるなどの悪評を聞いていたので、最初はビビっ
て夜行列車に乗ったときには、自分の荷物にチェーンキーをシート
にくくりつけて、ドキドキしながら一人で過ごしたのを思い出し
ます。

こういうことで、ほとんどけんかなどせずに思い出深い旅ができた
ので、これからこういう旅行をしたい人は、時々別れて、自由に
行動するといいと思います。

でも、中には一人は絶対やだという人は、ある程度相手にしたがって、
不満を言い過ぎないのがいいですね。

その時にどこで再会するかなどは、トーマスクックの列車時刻表を
確認しながらのどこどこに何時なんて話しをして、国をまたいで
南フランスのニースで落ち合おうということになりました。

1週間ぐらいでしたが、全く一人で知らない外国で過ごすのは、
初めての体験でしたが、度胸もついて良かったですね。

大した期間ではなかったですが、再会できて感動しました。

そこから、スペインに向かい、バルセロナ、マドリード、トレド
セゴビア、アンダルシア地方と巡って、ヨーロッパの最終目的地
のフランスのパリまで夜行列車で向かうことになりました。

セゴビアのアルカサール

 

 

 

 

 

 

 

当時は、深夜でも国境を越える時は、パスポートコントロールで
起こされて、出入国の手続をする必要があったんですね。

今は、EU加盟国同士ではパスポートは必要ありませんが、通貨も
変わったりするので、国境越えの緊張感も味わえました。

パリは美しい街だと思っていたのですが、結構、街には犬の糞も
あったり、思ったほどキレイではなかったですね。

この時のヨーロッパで訪れた国は、イギリス、フランス、ベルギー、
ドイツ、スイス、リヒテンシュタイン、イタリア、スペインでした。

旅の本質は自由と冒険

あっという間のヨーロッパを後に、40日ほどの日程のヨーロッパ
でしたが、僕たちはここで普通に帰国するのではなく、最初に話し
た通り、まだまだ違う国に行くことになります。

搔い摘んで話していますので、なんか旅行の内容が伝わりづらかった
かもしれませんが、本当に初海外での体験は素晴らしい経験となり
ました。

旅は海外でなくてもいいと思いますが、言葉の通じない外国に行く
ことは、とても色んな意味で貴重な体験ができたと思います。

とにかく、自由ですし、度胸がつきますよ。

時間とお金(これは普段節約すれば可能ですね)に余裕があれば、
是非、やってみて下さい。

学生さんなんかは、ツアーじゃなくてフリーで自分で計画を立てて、
行くのがいいですね。

これから先の話しは、また今度話したいと思います。

これからはアジア編です。

では、今日はこの辺で…

Filed Under: 旅について Tagged With: 旅 体験, 海外

人生にとって大事な体験の一つが「旅」

2018年5月8日 by masatoyoshio

こんにちは! 吉尾正人です。

今日は、自分の人生において影響を与えたことに
についてお話ししたいと思います。

自分の人生を変えた出来事とは…

  • ブルースリーに憧れたこと
  • 空手をやっていたこと
  • 海外に旅に出たこと

自己紹介でもはなしましたが、自分の人生を変えた
キーワードは「ブルースリー」「空手」ともう一つは、
「海外旅行」だと思いますが、自分が体験した「海外
旅行」とは「旅」という表現がいいと思っています。
なんとなく楽しむだけの海外旅行ではなく、未知への
世界へ訪れる「旅」として表現したいと思います。

ということで、今回は少し自分の海外での旅体験に
ついてまた、それ絡みの内容を何回かに分けて話
して行きたいと思います。

僕が人生初めて飛行機に乗ったは、大学2年の夏休み
でした。この時がまた、人生初の海外への旅だったん
です。

空手の友人と共に、男二人でその旅の計画したん
ですが、生まれて初めての海外ということで、計画
段階から非常にテンションが上がっていました。

誰でもそうだと思いますが、ワクワクするような
出来事というのは、計画段階から想像が膨れ上がって、
計画している時が一番楽しいと思います。

この時はなんと言っても初海外屁の旅だったので、
まず、どこの国に行くか、どれぐらいの日程で行くのか、
どの航空会社を使っていくのか、予算はどれくらい必要
かなど、二人で行くと言っても、日本を出たことがない
人間が当時の僕は不安一杯で色んな想像をしながら計画
を立てた覚えがあります。

その時、他にも海外に行く友人もいて、ヨーロッパに
行くと言うことでしたので、じゃぁ、最初はヨーロッパ
にしようということに決まりました。

日程は?と言ったら、夏休みにしよう、それも65日間
という結構長い日程に決まりました。

当時、こんなに休みが取れるのは大学時代しかできないこと
だと大学に行けたことを親に感謝しています。(その後も
旅行にはまり、全く勉強をすることを疎かにしていました)

当時、友人が沢木耕太郎の「深夜特急」という小説を読んで
いて、身近な友人達もバックパックというスタイルの旅行
で行くのが「旅」ということで、大体の日程を決めたら、
宿は決めず、実際現地に行ってから決めようということに
なりました。

今ではバックパッカーというと多くの人も知ってる方も
多いでしょう。

65日間も海外旅行に行くのに、たったのそれほど大きく
ないリュック1つに、数枚の着替えと必要最低限な携行品、
ガイドブック、命の次に大事なパスポート、バイトで必死
に稼いだ旅費を握りしめて、という感じです。

英語もまともに話せない二人が初めての海外で、
65日間も海外に行けるのかという思いと、初めての
海外に行ってどんなことが起きたり、写真でしか
みたことのない建物や景色を見るという期待感が
胸膨らんで、せっせとバイトに励みました。

 初めての旅の計画はどのルートで行くのか

旅の日程はヨーロッパということで決めたのですが、
では、どのようなルートでいくのか決めなくてはなりま
せん。

 

 

 

 

 

 

 

飛行機を使っていくことになりますが、航空会社は色々と
あり、ヨーロッパには北回りと南回りというルートが
あります。

当時、北回りというとアメリカのアラスカにアンカレッジ
という都市があって、そこを経由するのが一般的でした。
(ロシア上空は当時はアエロフロートというロシアの航空
会社しか飛べなっかたので)時間的にも南回りよりも
当然早く行くことが出来ます。

しかし、学生でしたし、時間はかかるけど予算的に安く
ヨーロッパに行くには、南回りの航空会社を使うことに
しようということになり、最終的にマレーシア航空を使う
ことになりました。

話はちょっと脱線しますが、

今では、スカイスキャナーという格安航空券を調べる
サイトがあります。

これで調べれば、いつ、どこからどこまでのルートで
どんな航空会社が飛んでいるのか簡単にわかって、
最安値もすぐにわかります。

今は、LCCなんて昔はなかった航空会社がいくつも
あるので、制約があって、仕事をしてる人には
使いにくいですが、時間に余裕のある人には
今本当に安く海外に行くことが出来ます。

当時は格安航空券と言っても、夏休みで南回り
の航空券で20万円もしました。

数ヶ月のバイトで貯めたお金をはたいて旅費に
しました。

話をもどして、南回りのルートを取ると、時間は
かかりますが面白い旅が出来るのも1つメリット
でした。

時間が65日間という理由には、ヨーロッパ以外にも
立ち寄ることを考えての日程でした。

マレーシア航空を使うとまず、成田からクアラルンプール
に向かいます。そこで機材を乗り換えて、ドバイ経由で
ロンドンに向かいます。

帰りの便は、パリからやはりドバイを経由して、また
マレーシアのハブになるクアラルンプールで乗り換えになる
のですが、ここで僕らは2週間ぐらいの日程を取って、
マレー鉄道と長距離バスを使って、隣国のタイのバンコク
に行こうと決めました。

そして、クアラルンプールに戻り、そこから香港に立ち寄り、
3日間ほど滞在し、香港から台湾の台北に立ち寄ることも
出来て、そこでは当時、友人が台湾に住んでいたので、
2週間ほど滞在するという日程になったのです。

基本的にここまで決めたら、あとの細かい予定は決めず、
ホテルも現地についてからその日の都合でガイドブック
を頼りにチェックインをするということにしました。

これで、世界一周までとは行きませんが、かなり壮大
な旅という感じで、深夜特急では、主人公は1年以上かけて
ユーラシア大陸経てロンドンまでの道のりの物語ですが、
この話の一部を体験できる感じにはなった気分でした。

今考えるとこれが、僕の初めての海外旅行を元に何かを
計画する体験を味わったことじゃないかと思っています。

実際、初めての旅行で二人で行くことになったので、友人と
ともに計画をしたんですが、こんな長い海外の旅を計画
するというのは、自分にとっては重要な体験でした。

勉強もろくすっぽ出来なかった自分が、海外旅行に興味を
持ち、初めて行く未知な場所に行く計画を立てるという経験は、
その後の仕事にも役立ちました。

(実際、これがきっかけで海外旅行専門の旅行会社に就職
しました)

まだまだ、話したいことはありますが、今日はこの辺に
したいと思います。

では、またブログでお会いしましょう。

Filed Under: 旅について Tagged With: 旅 体験, 海外

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