こんにちは! 吉尾正人です。
今回は、前回からの続きですが、ヨーロッパはパリを跡に
して、東南アジアへの旅が始まります。
今までとは180°違う世界の地を訪れて…
行きと同じようにドバイ経由で日本に向かうのですが、行きは
トランジットだけであった、クアラルンプールに降り立ち、
ここからはアジア旅になるわけです。
クアラルンプールは、中国人とマレー系の人種が混在する国で、
今では日本人の移住人気ナンバー1みたいですが、東南アジア
のいいのは、常夏なところと雰囲気ですね。

前日までいたヨーロッパとは、全く違う世界で、この
変化が楽しかったですし、印象深い思い出となってます。
クアラルンプールのホテルは、確か一人1000円ぐらいの
宿だったと思います。
かなりの古さを感じる宿で、1階に中華レストランのある、
マレーシア華僑の経営と思われる安宿でした。
夜寝ていると、通路で何人も従業員が簡易ベッドで寝ている
ようなところで、いびきはすごいし、ヨーロッパの安宿とは
比べものにならない環境でした。
街は、華僑とマレー系が混在する国なので、イスラム教の
モスクなどアラブ風建築も見ることが出来ます。
華僑の勢いも凄くて、市場の通りはかなり賑わっています。
東南アジアに来て最初に凄いと思った体験は、なんといっても
スコールです。
道が渓流のような流れで、膝ぐらいまではあっという間に
水没してしまうぐらい降ります。
クアラルンプールからは、隣の国タイのバンコクに行くこと
が目的でした。
バンコクまでは、マレー半島を縦断する約1500キロの
行程です。
行きは、長距離バスを使って行く予定にしていたので、
バスターミナルに向かいました。
マレーシア国内のみならず、陸続きのため隣国タイやシン
ガポールなどの国にも路線があります。
アジアのバスターミナルは、多くの人がゴチャゴチャと
色んな都市に向かって行く人が集まってきます。
クアラルンプールからはまず、タイのバンコクに向かいます
この時の、マレーシアのバスが最悪で、自分のバスの座席の
上にクーラーの通風口があったんですが、そこからクーラーの
水がポタポタと落ちてきて、頭に垂れてきます。
全く眠れたもんじゃありません。他の席もいっぱいで変われる席
もありません。
苦痛を我慢しながら、さらにガンガン冷房も効きすぎるバスに
揺られて、国境を越えタイに向かいました。
マレーシアとタイとは時差が1時間あります。
日本からはマレーシアは−1時間、タイは−2時間です。
普通にバスに乗って国境を越えると、時差があるのを
忘れてしまうこともあります。
ここで一夜が明けて、バスを降りろと言われ、バンコクに
着いたのかと思いきや、町並みが違うぞという感じで、
確認してみると、南部のハジャイという街でした。
ここを経由するのはわかっていたのですが、ここでバスを
乗り換えることは知らされておらず、取り敢えず、バンコク
行きのバスが発車する時間まで待たされることなりました。
旅には、こういうことは時々起こります。
こちらのコミュニケーション能力の問題とこういう国の
インフォメーション不足と噛み合ないことは多いです。
タイの南部は、宗教問題で、治安が悪いところもあるという
ことを聞いていたので、ちょっと気をつけながら行動をして
いました。
ほとんど休むことなく、これからさらに10時間以上かけて
バンコクに向かうことになります。
ただ、今度のバスは今まで乗ってきたバスに比べて、キレイで
比較的快適でした。アテンドの女性もいて、途中のドライブイン
で食事も提供されました。
これならいいなと思いながら、さらに一晩かけてバンコクに
向けてのロングドライブです。
バックパッカーの集まる聖地バンコク
やっと着いた、という感じで、ここからはいつもの通り、
宿探しになります。
バンコクのバスターミナルから、当時バックパッカーが
良く泊まる安宿探しです。

当時は、あんまりインフォメーションもなく、地球の歩き方
だよりで、長旅の疲れを癒すことなく歩き続けなかればなり
ません。
やっとのおもいで、宿にたどり着き、荷物をおきます。
安宿のため、冷房ではなく、天井に扇風機が回るファン
のみの部屋でした。
すぐさま、部屋をでて、街に繰り出しました。
今考えると、元気だったなと思います。こんだけの、
行程でもさらに、宿を探して、さらに休まず街へ繰り出せる
元気がありました。
バンコクは車も人も多くて、渋滞がひどいです。
かなりの大都市です。

しかし、今現在のバンコクは、当時のバンコク以上の発展を
遂げ、高層ビルが建ち並んで、今の日本より景気がいいんだな
と感じます。
物価も当時ほど安さを感じません。
色んな意味で、発展を遂げるのは住んでる人にはいいこと
なんでしょうが、旅行者に取っては少し残念なところもあり
ますね。
バンコクの有名な寺院や中心地のサイアムスクエアや日本人
が多いスクンビット地区やシーロム地区などをバンコク名物
の三輪タクシーのトゥクトゥク乗りながら、バンコクを巡り
ました。

アジアなどの地域を旅をして面白いのが、金額の交渉という点
ですね。このトゥクトゥクも交渉次第で金額を決めるので、
人によって値段が変わります。
この点は、タクシーのようにメーターがついていないので、
しかたないですが、メーターのついてるタクシーでも法外
な金額で交渉しないと乗れない悪徳タクシーも多くあるのが
現状です。
最近のバンコクは、トゥクトゥクの台数が減ってきていて、
ちゃんとしたメータータクシーに乗れば、交渉する手間もなく
正規の金額で乗れるので、お得です。冷房も効いているので
快適です。
また、もう一つこの頃の時と今のバンコクが違うのは、市内
をBTS(スカイトレイン)と地下鉄が運行するようになったこと
です。
今では、この市内を走る電車網のおかげで、渋滞のひどい
バンコクの街をタクシーなどを使わなくても、路線があれば
時間も正確に移動出来ることができるようになりました。
これは僕が初めてバンコクにいったころにはなかったことですが、
バンコクが急速に発展をしていることを感じさせる事情の一つ
ですね。
この旅行のなかでも、バンコクは物価も安く、雰囲気も楽しく、
以後何度も訪れることになりました。
このとき以外のタイ旅行については、いずれまた、違う時にでも
お話ししようと思います。
さて、バンコクの滞在も終わり、再度飛行機はクアラルンプール
からの出発になるので、マレーシアに戻らないとなりません。
クアラルンプールへは、マレー鉄道で帰ることにしていたので、
荷物をまとめて、バンコク中央駅であるホアランポーン駅に
向かいます。
アジアの列車旅は最高!
駅は大変特徴的な趣のある外観です。本来なら寝台を選ぶところ、
空いてなかったため、2等の普通席を選ぶことになりました。
およそ24時間ほどの列車の旅になります。
行きのバス同様2等席ということもあり、また過酷になるかな
と想像しました。
列車はゆっくりホアランポーンを出発し、日本の特急列車よりも
穏やかなスピードでタイ〜マレーシアを走り抜けて行きます。
バスのように、途中で乗り換えはなかったのですが、マレーシア
に入ってすぐの国境近くのバターワースという街(ペナン島に
行く人はここからフェリーで行く)で、時間調整となりました。
数時間停車して、再度出発するのですが、最初の方で話した通り、
タイとマレーシアには1時間の時差があります。
到着時点でマレーシアなので、1時間時計を進めないとなりません。
そうしないとここでの出発時刻はマレーシア時間になるからです。
ということで、その時に同じ列車に乗っていた日本人の新婚さんが
時間があるので、ペナン島まで行って来るということだったんです
が、出発時間になっても帰ってきません。
ペナンで泊まるのかなと思いながら、列車は走り出しました。
マレーシアに入ると、熱帯雨林を思わせるジャングルのなかを列車
は走って行きます。
昼過ぎに出発し、翌日の同じような時間にやっとクアラルンプール
に到着しました。
移動をしたらいつも通りやることは、宿探しです。
今回は、行きに泊まったより500円ほど高いところに泊まった
ので、結構快適でした。
そこになんと先程バターワースでペナンに行ったカップルに遭遇
しました。
あれからどうしたのか聞くと、やっぱり時間を変えずに駅に戻ったら、
列車は出発してしまっていたということで、ペナンに戻り、飛行機で
クアラルンプールに来たそうです。
時差というのは、こう言う時に問題が起きるのでたまたまですが
隣の国で時差がある時は気をつけなければなりませんね。
そして、今度はケアラルンプールを出発し、次の目的地香港に
向かいます。
ブルースリーの誕生の地
香港と言えば、僕の憧れたブルースリーがいた国です。3日間で
したが、それだけでテンションは上がりました。

この時の香港はまだ、イギリス植民地時代で中国返還前です。
空港も町中にあり、飛行機は高層ビルの建ち並ぶ景色の中を
滑走路に降り立つという珍しい空港でした。
映画で見た世界でしたが、今はもう経験出来ない光景です。
街は、ブルースリーやジャッキーチェンの映画に出て来る世界で、
高層ビルがニョキニョキと立ち並び、中国語の看板が通りを埋め尽くし、
二階建ての公共バスが走るのをみて、この時は香港映画も流行っていた
時代で、バンコクよりも進んだ国と思いました。
映画にも出て来る九龍という場所にある九龍城は、得体のしれない
ビル群で、ここに入ったら生きて出て来れない怖い場所だと信じ込ま
されていたので、ビビって当時入るのを躊躇しましたが、それは伝説
でした。
香港での宿は、チョンキンマンションという九龍にある安宿の
集まるビルで、ここは深夜特急でも主人公が泊まった宿が入ってる
バックパッカーには良く知られているところです。
ここで、値段と空きを確認し、宿泊したホテルは、本当にベッド上
でしか動けないスペースの狭い部屋でした。
ただ、2泊しかしないし、ほとんど街に繰り出して、寝るだけ充分
でしたので、問題無しです。
香港は、九龍と香港島を結ぶフェリーに乗り、小さいエリアでしたが
色々と歩き回りました。
100万ドルの夜景で知られるビクトリアピークに行ったのですが、
ここでもびっくりする経験をしたのが、今回のヨーロッパでスペイン
の宿に泊まった時に出会った方と、再会したことでした。
彼女は、ヨーロッパから一旦日本に帰国して、再度違う友人と
香港旅行に訪れていて、ちょうどビクトリアピークに来ているところ
で出くわしました。

当時、友人と「世界は狭いな」などと偉そうに話した記憶を思いだし
ます。
そんな香港はあっという間に過ぎて、最後の訪問地台湾に向かいます。
友人たちと過ごした一生忘れられない思い出の国
台湾の首都台北には、当時高校時代の友人と大学時代にバイトをして
いた時の先輩が住んでいました。
この高校時代の同級生が、僕以上のブルースリーファンで、そのこと
もきっかけで台湾に住むぐらいの彼でした。
彼とは高校時代は、ブルースリーが好きで意気投合して、四六時中
一緒に遊んでいた友人でした。
台北の見所や彼の遊び場のスポットなど隈無く案内してもらって、
非常に楽しい思い出でした。
台北は夜市が有名で、色んところに夜になると屋台がでます。
僕が好きだったチョウユンファ主演の「男達の挽歌」では、
当時の台北が出てきますが、台北も2年前にも行ったんですが、
昔とはかなり変わっていました。
今思い返すと、この時に戻ることが出来たら戻ってみたいなと
思える時でした。
こんな旅は二度と出来ないなと思います。
ということもありますが、この旅をきっかけに大学時代は、翌年南米、
卒業旅行でタイに行くなど、海外にハマってしまった自分がいました。
人それぞれ、旅の体験は違うと思いますが、是非、このブログを読んで
くれた特に若者達には、海外に行くことをお勧めしたいと思います。
別に、海外でなければならないわけでもないし、国内旅行でも問題
ないのですが、言葉と人種の違う人達しかいないところに、また
日本では見れない景色や体験が自分を成長させてくれたのだと思います。
ここで、旅ということにしたのは、大人になってお金が稼げるように
なれば、海外旅行なんていくらでも行けると思います。
今はLCCで東南アジアなんて片道1万代でいけるんですから。
僕が言いたいのは、旅と言う経験をしてみることで、自分でプラン
を考え、行き先に迷った時や、言葉の通じないところで、ガイド
もいない場所でどう対処していくか。また、ドミトリーでは、
世界各国から訪れるバックパッカーたちと交流できたり、自分も
英語は全くに近いぐらい話せませんでしたが、なんとか言いたい
ことを伝えようということをすることで、意気投合して仲良くなって
しまうような体験もできたり、違う国で再会する偶然や、今まで
想像したことのない数々の経験が出来たと思います。
なんか偉そうなこと言ってますが、ある趣味の一つです。また、
特に今はそんなに海外に出ることは難しくないでしょう。
僕もまだまだ行きたいところが沢山あります。
その時その時で、経済の発展に伴って、国の状況も変わりますし、
町並みも大きく変わっていきます。
行く年代でも、行った時の受ける印象や感情はちがうと思います。
それは貴重な経験になると思います。
もし、現在なにも趣味もやりたいことがないあなたには、機会が
あったら「深夜特急」でも読んで、旅のイメージに想像を膨らませて、
海外に旅に出て行ってみたはいかでしょうか。
ということで、今日は長くなりましたが、この辺にしておきます。
ではでは…